初出■1907年[明治40年]

紹介

俗な世相を痛烈に批判し、非人情の世界から人情の世界への転機を示した。

【感想】2014.1.1

再び、「野分」夏目漱石を読む。

主人公の道也は世間と自我の折り合いがつかない半端さから教師を辞め、貧窮のなかに生きている。
それに付き従う細君の困惑も読者へ身につまされるように丹念に綴られている。
それがひどく不安の源泉として心の澱に溜まっていく。
30年ぐらい前ならば、主人公の文明批評も正当論としてまな板に上ったであろうが、いまでは陳腐だ。
やはり家庭も支えられない夫に愛想を尽かすしかないだろう。
それでも「現代の青年に告ぐ」と題する演説のくだりには、面白さもある。
スーパープレゼンとはまた違う、聴衆の空気を読んだ間の取り合いには感心したりする。
この小説は漱石自身が教職を辞し、作家生活に専念し始めた年に書かれており、新しい生活への不安がにじみ出ているようにも読める。
時代によって、その不安の質が変わっていく小説ともいえる。


【感想】2008.12.29

「野分」夏目漱石を読む。

「白井道也(しらいどうや)は文学者である。」
「八年前大学を卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩いた末、去年の春飄然と東京へ戻って来た。」

書き出しの部分である。
高等遊民という言葉にふさわしい主人公を描いた漱石初期の中篇で、あまり有名ではないと思う。
この高等遊民をして漱石は、俗世間や金持ちを批判しているように見える。
しかしながらお金がなければ生活できないという現実も主人公の妻を通して暗鬱に、あるいはユーモラスに 描いているともとれる。

「道也は人格に於て流俗より高いと自信して居る。流俗より高ければ高い程、低いものゝ手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である」

明治末期という時節を現しているのか、引用に見られるような人格を全うするような儒教的な思考が物語を覆っていたりする。
それでも漱石が現在に至るまで読まれるのは、あまりに現実的な妻の存在なのだろう。
そんな高尚な人格があったって、腹の足しにはならないのだ。
世俗的な利益を選ぶのか、精神的な満足を選ぶのか、そんな二元論の問いかけではない。
生活とはなにか、思想とは食べていく上でなにかの役に立つのか、そうした人間の営みを漱石は問いかけているように、現在では読める。

多岐に渡る人間の生活の有り様の肯定を、結論を出さずに、物語という装置を使って迷ってみせるのが、漱石らしいところだ。

長き憂は、長き髪に、
暗き憂は、暗き髪に、
     みだるるよ、みだるるよ。
いたずらに、吹くは野分の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
     みだるるよ、みだるるよ。

2008年12月29日

羊男

物語千夜一夜【第百七夜】

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